こんにちは!
禁酒法という法律ご存知ですか?
禁酒法とは、お酒を飲むと罰せられる法律です。
現代では、考えられないですね・・・
今回は、禁酒法の歴史や禁酒法に至った経緯などご紹介していきます!
禁酒法とは?
禁酒法は、1920年代アメリカで作られました。
お酒の製造・流通・販売を禁止するという法律です。ただ、すでに持っているお酒を飲むのはセーフです!!(謎)
この禁酒法は、約13年続き1933年まで実施されました。
なぜ禁酒法が始まった?
1784年に、医者のベンジャミン・ラッシュさんがアルコールが体に悪いと主張し、その主張が広まり一部の人たちに「お酒=不健康」という意識が芽生え始めました。
それがきっかけで、少しづつ禁酒協会が設立されるようになりました。
本格的に法律となったのはその後。
1917年に、アメリカはドイツに宣戦布告をし、戦争をすることを宣言。
そうなると、アルコール業界では反禁酒法であるドイツ系アメリカ人の意見などが無視されるようになってきました。。
また、アメリカのビール業界はほぼドイツビールが占めていた、「ビール=敵」というイメージがつくようになりました。
(宣戦布告した敵国のお酒ですからね・・)
その後、1920年1月16日に禁酒法が制定され、アメリカ禁酒時代の始まりです。
戦争という背景もこの禁酒法には大きく関わっているのですね・・!
ただ、もう少し前の時代にも一部の地域で禁酒制度がありました。
狂気のキャリー・ネーション婆さん
1881年代、お酒が大嫌いだったキャリーネーションさんは、聖書とまさかりを担いでバーに行き、お店のお酒を片っ端から破壊したり、歌や祈りをし、お店にアルコールを撤去する運動をしていました。
もうこれはまさに狂気そのものですね。。
そんなキャリー婆さんは以下のようなことを言ったそうです。
その翌朝、私は「カイオワに行け」という声で目を覚ましました。その声はどうやら私の心に語りかけてくるようでした。
次に私の両手が持ち上げられたかと思うと下ろされました。そして「我は汝のそばにいる」との声。
「カイオワに行け」という言葉はつぶやくような、音楽的な口調で、低く柔らかでした。
しかし次の「我は汝のそばにいる」という言葉は非常にくっきりと明瞭で、断固とした調子でした。
私は素晴らしい霊感が湧いてくるのに身を震わせました。
解釈は極めて単純なものです。つまり「何かを手に持って、カイオワの酒場という酒場に投げつけ、それらを粉砕しろ」ということなのです。
※Wikipediaから
もう、酔っている人の言葉にしか捉えられませんが、シラフで言ったそうです。。
恐ろしや恐ろしや
功を奏し、1881年にカンザス州ではいち早く禁酒法が発足されました。
禁酒法時代
禁酒時代は様々な不満が想定どおりやってきました。
- お医者さんは、治療目的でアルコールを使用したい
- 町では、撤退運動する市民
アルコール消費量が下がると思っていたが、逆に10%も消費量が増えたそうです。。
また国外では製造が許されていたので、キューバやメキシコやカナダの蒸留所には、アメリカからきた人が不正入手を目的によく来ていてたのこと。
そして、町ではもぐりの酒屋も増え、人々は隠れながらお酒を飲んでいました。
その後、市民の抗議も大きくなり始め、大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが禁酒法の改正を訴えて、大統領へ。
禁酒時代の幕が閉じました。
当時、もぐりの酒場ではスピークイージーという種類のバーが増えて来ました。
そこは、市民の隠れたオアシスになっていきます。。
スピークイージーとは?
スピークイージーとは、無許可営業のバーです。
多くは、本屋や薬局・美容室などの奥で営業しているまさに知る人ぞ知る、隠れ家のバーです。
近年では、酒好きには悲劇の法律、「禁酒法」時代のバーに倣ったお店も増えて来ています。
表から見るとバーツール屋だが、秘密の扉を開き階段を上がると、人がたくさんいるバーがあったり。
また、このスピークイージーで様々なカクテルが誕生したりもしています。
なぜなら当時、粗悪なスピリッツが多く、副材料を混ぜて味をごまかしていたとか。
人は制限されればされるほど欲したり、また不自由の中で作られたアイディアはもしかしたら未来永劫残るカクテルを完成させたりするものですね。。
2019年9月ごろ、私が上海に行った時も、スピークイージーがありました。
詳しくは、以下の記事に書いているので、興味がある方はぜひみてください!